00.Introduction

はじめに

「DDは仲介会社が段取りしてくれる」と思っていた買手企業が、クロージング後に想定外の負債を抱えるケースを、筆者は何度も見てきました。その多くに共通するのは、仲介会社への過度な依存です。スケジュールを組み、開示資料の受け渡しを調整し、弁護士や会計士を紹介してくれる——そこまではしてくれる。ただし、「このシステムの技術的負債はどれほど深刻か」「この顧客集中度は許容範囲か」という踏み込んだ評価・判断は、仲介会社の仕事ではありません。

そもそもM&Aにおける仲介者は、売手と買手の双方から手数料を受け取り、両者の間に立って成約を目指す存在です。日本のM&A業界に独特な、いわゆる「両手取り」の構造です。一方、FA(ファイナンシャル・アドバイザー)は売手か買手のいずれか一方とのみ契約を結び、依頼者の利益を最大化するために交渉に臨みます。仲介者が「中立調整役」である以上、依頼者の片方に肩入れする評価——たとえば「買手にとってこの会社のリスクは深刻だ」「この価格は売手に有利すぎる」といった踏み込んだ判断——を行うことには、構造的な利益相反が生じます。仲介者がDDの結論に踏み込めないのは、規制で押さえつけられているからではなく、両手取りという仕組みからして必然なのです。

2024年8月、中小企業庁が「中小M&Aガイドライン(第3版)」を公表しました。この改訂で明確になったのは、仲介者は中立性の観点から自らDDを実施せず、DDの結論についても自ら結論を出すべきではないという規律です。あわせて、DDの非実施・経営者保証の扱い・表明保証の内容など契約後にトラブルとなりうるリスク事項について、依頼者に具体的に説明することが仲介者・FAに求められるようになりました。前述の利益相反構造を制度として整理し、買手・売手の双方が「仲介者に評価判断まで期待してはいけない」と明文で確認できるようにしたのが、今回の改訂です。

中小M&Aガイドライン第3版(2024年8月)は、両手取り構造ゆえに仲介者が中立に縛られ、DDの結論に踏み込めないことを制度として明確に整理しています。「仲介会社がDDも見てくれる」という期待は、制度上も実態上も成り立ちません。

01.Section 01

ガイドライン第3版が仲介者に課した「禁止事項」の中身

中小M&Aガイドラインは2020年3月の初版(第1版)から、2023年9月の第2版を経て、今回の第3版(2024年8月)に至っています。第3版では、買手・売手双方の保護と市場の健全化が主眼に置かれており、仲介者に関するDDの規律を要約すると次の通りです。

  • **スケジュール管理・開示資料整備の支援は認められる:**DDの実施に際して、日程調整や提出書類の確認・案内を行うことは仲介者の業務範囲内
  • 仲介者は自らDDの結論を出すべきでない:「この財務データを見て問題がないか」「このシステム構成のリスクをどう評価するか」といった踏み込んだ専門的判断は、仲介者が中立性の観点から行うべきではなく、必要に応じて依頼者に専門家への意見を求めるよう促すことが求められる
  • **DD非実施を含むリスクの説明義務:**DDの非実施・経営者保証・表明保証など契約後にトラブルとなりうる事項について、仲介者・FAは依頼者に対して具体的に説明しなければならない

これは一見、買手に有利な規定のように見えます。しかし逆に言えば、買手側にとって「仲介会社がDDの中身を見てくれる」という期待は、制度上も成り立たないと整理されたことを意味します。なお、FAは依頼者の代理人として依頼者側のDDを支援できる立場にあり、ここで制限されているのはあくまで「中立的な立場の仲介者」がDDの結論に踏み込むことです。

/ Field Notes — 現場から

仲介会社の「問題ありません」を信じた結果

製造業のM&Aで、買手の経営者から「仲介会社がDDを見てくれた、問題ないと言われた」という話を聞いたのは、クロージングから8ヶ月後でした。話の内容は、主力工場の設備の一部がオペレーティング・リースとしてオフバランス処理されており、リース債務の実態がB/Sに表れていなかったというものです。実質的にはファイナンス・リースに近い長期契約で、解約時の違約金条項も重く、簿外債務として把握しておくべき性質のものでした。

仲介会社は財務資料の受け渡しを担っていましたが、その数字が実態を正確に表しているかどうかの確認は誰もしていなかった。「チェックしてくれた」と「評価・判断を行った」はまったく別の話で、この経営者はその区別を理解していなかったのです。追加費用の負担は3,200万円に上りました。

02.Section 02

「DDをしないリスクの説明義務」が生まれた背景

今回の第3版改訂でもう一つ注目すべき点は、手数料体系の開示義務と不適切な譲受側への対策強化です。M&A件数は2024年に4,700件と過去最多を記録し(レコフデータ)、市場の急拡大に比例して問題事例も増えてきました。その中で繰り返し問題になってきたのが、DDを省略したまま取引を成立させるケースでした。

売手にとってDDは、自社の内部情報を開示するプロセスです。手間もかかる。「面倒なのでなるべくDDは短くしたい」という売手側の意向に、一部の仲介者が乗っかる形でDD省略が黙認されてきた背景があります。ガイドラインがDD非実施のリスクを依頼者に対して具体的に説明する義務を仲介者・FAに課したのは、こうした流れへの対応です。

ただし、説明義務が課されたからといって買手が自動的に守られるわけではありません。買手の視点から言えば、DDを行うかどうかの判断も、DDの内容をどこまで深掘りするかの設計も、すべて買手が自分の責任で決めるしかない——という構造は変わっていないのです。

/ Field Notes — 現場から

「短いDD」を選んだ会社の3年後

IT会社の買収で、買手が「費用を抑えたいのでDDは2週間で」と言ってきた案件があります。ビジネスDDは省略し、財務・法務の表面的な確認だけで進めました。そのときの判断は「スピードを優先した合理的な選択」でした。

3年後、その会社の主要顧客2社が契約を終了しました。DDをきちんと行っていれば、顧客の契約更新条件と競合他社との関係性を事前に把握できていたはずです。「仲介会社が普通に進めてくれたから問題ないと思っていた」という言葉が、後から出てきました。短いDDを「選んだ」のは買手自身ですが、その選択の意味を十分に理解していたとは言えなかった。

03.Section 03

仲介者に頼ってはいけない3つの局面

ガイドラインの規定を踏まえた上で、実務でよく問題が起きる局面を整理します。仲介者がどこまでやってくれるかを理解しておくことが、買手にとっての出発点です。

局面①:ビジネスDDの論点設定

「この会社の市場競争力はどこにあるか」「顧客集中度のリスクはどう評価するか」——これらは仲介者が立場上答えられない問いです。仲介者は売手・買手双方の利益のバランスを取る立場であり、一方に肩入れした評価を公式に行うことができません。ビジネスDDの論点設定と評価は、買手側が独自に行うか、買手側のFAやビジネスDD専門家を別途起用して行う必要があります。

局面②:IT・システムの実態把握

中小企業のM&Aでは、対象会社のITシステムの実態が開示資料に反映されていないことが多い。ベンダーとの契約書があってもソースコードの所有権が曖昧だったり、運用がキーパーソン1名に依存していたりする。こういった事実は、仲介者が用意するデータルームを眺めているだけでは見えてきません。

局面③:PMI設計への接続

DDで発見したリスクをPMI計画に落とし込む作業は、仲介者の仕事ではありません。DDが終わった時点で仲介者の役割は実質的に縮小します。「DDで見つけたことを誰がどう引き継ぐか」を設計しないまま進むと、DDで費用と時間をかけても、その成果がPMIに活かされないという結果になります。

/ Field Notes — 現場から

ITシステムの「問題なし」が意味したこと

小売業の買収案件で、対象会社のIT資産について「仲介会社からシステムは問題ないと聞いている」という買手の話を聞いたことがあります。実際にIT-DDを行ったところ、基幹システムが2011年に構築されたオンプレミス環境で、保守ベンダーが2年後に撤退を予定していることが判明しました。

「問題なし」の意味は「大きな事故は起きていない」という意味であって、「将来的なコストや移行リスクがない」という意味ではなかった。移行コストの見積もりを取ったところ、8,000万〜1億2,000万円という数字が出ました。買収価格の算定に含まれていなかった数字です。

04.Section 04

自走DDの設計——「全部やる」ではなく「何を誰に任せるか」の設計

自走DDというと「自社だけで全部やる」と受け取られることがありますが、現実はそうではありません。正確に言えば、「DDの論点設定と評価の主体を買手側が握る」ということです。実際の調査作業の一部は外部専門家を活用していい。ただし「お任せ」はしない、という考え方です。

一般的な中小M&AのDDで、買手側が設計すべき工程を整理すると次のようになります。

DD領域買手が主体的に担う部分外部専門家を使う部分
ビジネスDD論点設定・顧客インタビュー設計・シナジー評価業種分析レポート・競合調査補助
IT-DD調査範囲の指定・リスク評価の最終判断システム構成調査・セキュリティ診断
財務DD重点確認項目の指示・結果の解釈財務諸表分析・税務リスク調査(公認会計士・税理士)
法務DD契約書の論点確認・リスク許容度の判断契約書精査・知的財産調査(弁護士)

「論点設定」と「リスク評価の最終判断」を買手が手放した瞬間に、DDは形骸化します。逆に言えば、そこさえ買手が持っていれば、調査作業自体は外部に任せても機能します。

AIの活用余地があるのも、この工程分担の中にあります。初期の資料整理・IRL(情報依頼リスト)作成・論点の粗出しにAIを使い、評価・判断の工程に専門家とリソースを集中させる——そういう設計が、中小企業にとって現実的なDDの形になっています。

/ Field Notes — 現場から

論点を絞ったら費用が半分以下になった

中堅サービス業の買収で、買手の経営企画担当者が「ビジネスDDだけは自分たちでやりたい」と言ってきた案件があります。財務・法務は外部に任せる方針でしたが、ビジネスDDについては自社のチームが主体となり、専門家をサポート役に使いました。

最初の見積もり段階では、フルDDで1,200万円という提示がありました。買手チームが自分たちでビジネス論点を絞り込み、「この3点だけ専門家に確認してほしい」という形で依頼し直した結果、最終的な費用は470万円になりました。品質的には、論点が絞られた分だけ深掘りがされており、むしろ精度は上がったと評価しています。論点を誰が設定するかで、DDの費用と質は大きく変わります。

05.Section 05

M&A件数4,700件の時代に、「後から気づく」コストが変わっている

2024年の国内M&A件数は4,700件と過去最多を更新しました(レコフデータ)。事業承継を目的とした案件だけで920件あり、こちらも過去最多です。市場が拡大する一方で、買手企業の経験値が均等に上がっているわけではありません。初めてM&Aを手がける中小企業や、数件の経験しかないスタートアップが、仲介会社の案内に従って進めるケースが多くを占めています。

こうした状況で「DDを省略した」「仲介会社に任せた」という判断をした買手企業が後から直面するコストは、5年前と比べて構造的に変わっています。ITシステムの老朽化・クラウド移行コスト・セキュリティ対応コスト・データ管理コスト——これらが買収後に発覚するたびに、想定外の支出として経営を圧迫します。「買収後に問題が出た」という話の中身が、従来の財務・法務リスク中心から、IT・システム領域に移ってきているのが実感です。

ガイドライン第3版が仲介者の役割を整理したことは、裏を返せば「買手が主体的にDDを設計する意識を持たないまま市場に参加しているケースが多い」という問題意識の表れでもあります。制度が変わっても、買手が動かない限り実態は変わらない——その点については、率直にそう思います。

/ Field Notes — 現場から

「ガイドラインが変わった」を知らなかった買手

2025年に入ってから、あるM&A検討中の経営者と話す機会がありました。仲介会社からの提案を受けて検討を進めているという話で、「DDは仲介会社が一緒にやってくれると思っている」とおっしゃっていました。

ガイドライン第3版の話を伝えると、「そんな規定があるとは知らなかった」という反応でした。仲介会社からは当然その話は出ていなかった——仲介者にはガイドラインを積極的に説明する動機がありません——し、買手自身が調べていなかった。制度が変わっても、それを知らなければ何も変わりません。

/ Summary

まとめ

中小M&Aガイドライン第3版(2024年8月)は、仲介者が中立性の観点からDDの結論に踏み込まないことを明確に整理しました。これは規制の強化ではなく、もともとの役割分担の明確化です。仲介者はDDを「段取りする」存在であり、「評価する」存在ではない——その当然の前提が、制度上も明文化されたに過ぎません。

買手企業に求められるのは、DDの論点設定と評価判断を自社が主体的に担う意識です。全部を自社でやる必要はありません。ビジネスDDの論点設計と、各領域のリスク評価の最終判断を買手が手放さなければ、調査作業自体は外部の専門家やAIを活用して行うことができます。

「仲介会社が見てくれているから大丈夫」という前提が制度的にも崩れた今、DDを設計する力を持つ買手と持たない買手の差は、M&A後の経営に直接影響します。どこから手をつければよいかわからないという段階から、一緒に考えることができます。