はじめに
税理士業界の再編が、ここ数年で目に見えて加速しています。日本税理士会連合会の公表データでは、税理士登録者数は約8万人台(出典: 日本税理士会連合会『税理士登録者数』令和6年度末81,696人)で、税理士法人の数も数千規模に積み上がっています。所長の高齢化、後継者不在、DXへの対応負荷——この三つが重なって、地方の中堅・小規模事務所を中心に第三者承継・統合の動きが続いています。買い手側も、大手税理士法人だけでなく、PEファンドや異業種のホールディングスが参入していて、士業ロールアップの代表領域になりました。
ところが、税理士法人・会計事務所のM&Aは、一般事業会社のフレームをそのまま当てはめると、ほぼ確実にトラブルが起きます。理由はシンプルで、収益の源泉である「顧問契約」が、法的に自動承継されないからです。顧問契約は事務所と顧問先の間の準委任契約で、契約条項上の解約権が広く、所長個人との人的関係に強く依存しています。譲渡実行後に顧問先がまとめて他事務所に流れる事象は、実案件で珍しくありません。
税理士法人・会計事務所のM&Aで譲渡実行前に潰すべき論点を、顧問契約の承継構造・所長個人依存の収益・税理士法上の社員合意要件・無償サービスの含み損・バリュエーションの組み方まで、所長依存度で対価が崩れた支援現場の流れに沿って書きます。
税理士法人・会計事務所DDの急所は「顧問契約の承継率前提」「所長個人依存の収益分解」「社員税理士の合意要件」「無償サービスの実質コスト」「のれん償却の税務影響」の5つです。仲介の概要書をそのまま信じて買うと、譲渡後12ヶ月で顧問先の2割以上が流出することが起きえます。
なぜ今、税理士法人M&Aがここまで増えているのか
税理士業界の再編が動いている背景は、おおむね次の四つに分解できます。買い手・売り手・市場環境のそれぞれに、譲渡を促す方向のドライバーが揃っています。
譲渡側を動かす要因
譲渡側でいちばん大きいのは、やはり所長の高齢化と後継者不在です。地方の小規模事務所では所長が60代後半〜70代という比率が高く、子息が税理士資格を取らない、あるいは別事務所で勤務しているというケースが増えています。そこに制度対応の負荷が重なります。2022年以降の電子帳簿保存法改正、2023年10月のインボイス制度開始で、システム対応・顧問先指導の手間が個人事務所の体力を超え始めました。加えてクラウド会計(freee/マネーフォワード/弥生)対応、AI記帳の導入、データ連携の整備にはまとまった投資が要りますが、年商1〜3億円規模の事務所では投資回収の絵が描きにくい。さらに税理士試験合格者の減少と若手の採用難で職員確保が難しく、属人運営から抜け出せない——こうした要因が積み重なって、自力での継続を諦める所長が増えています。
買い手側を動かす要因
買い手側にも複数の動機が揃っています。まず大手・準大手の税理士法人が、地方支店化の手段として中堅事務所を買収する動きがあります。次にワンストップ士業ロールアップ、つまり税理士+社労士+行政書士+弁護士をグループ化して中小企業の管理部門を一括受託する戦略です。さらにPE・ホールディングス型の連続買収——ファンドが受け皿会社を作って複数事務所を集約し、IPOやセカンダリー売却を視野に入れる動きも出ています。これらの背景にあるのがクロスセル余地で、顧問契約をベースに相続・事業承継・M&Aアドバイザリー・国際税務といった高単価サービスを追加販売できる点が、買い手の評価を押し上げています。
注意したいのは、「ロールアップが流行っているから自分も買う/売る」という発想で動くと、ほぼ確実に失敗するという点です。税理士法人M&Aは、構造的な特殊性が多く、一般会社と同じ感覚で進めると、譲渡後の収益が想定の6〜7割まで落ちる事象が起きえます。動機よりも先に、構造論点の理解が必要です。
「ロールアップで買うから論点は少ない」と仲介に説明された案件
地方の中堅税理士法人(年商約1.8億円、顧問先約220社)の譲渡案件で、PE系の受け皿会社が買い手候補として手を挙げました。仲介担当からは「同業同士の統合だから論点は少ない、DDも軽くて済む」という説明がありました。買い手側で初期検討を始めたところ、顧問先220社のうち上位30社で売上の約65%を占め、その上位30社のほぼ全件で所長個人が窓口担当者でした。
所長は譲渡後1年で完全引退の意向で、顧問先側にもまだ告知していない状況。この前提で「顧問先継続率を保守的に置くと譲渡後3年でいくら残るか」を試算したところ、当初想定の6割強まで落ちる結果になりました。仲介の概要書ベースのバリュエーションと、顧問先依存度を踏まえた現実的なバリュエーションには、3〜4割の乖離が出ます。「ロールアップだから簡単」は、士業M&Aで最も危険な思い込みです。
顧問契約は「自動承継」されない——準委任契約の構造論点
税理士法人・会計事務所M&Aで最も誤解されているのが、顧問契約の承継構造です。一般事業会社の株式譲渡では、対象会社の契約関係はそのまま新オーナー下の会社に引き継がれます。ところが税理士の顧問契約は、税理士法人ごと譲渡しても、顧問先側が解約を申し出れば原則として自由に解約できる契約です。
顧問契約の法的性格
そもそも税理士・税理士法人と顧問先の関係は、民法上の準委任契約です。委任契約は当事者の信頼関係を基礎とするため、両当事者がいつでも解除できます(民法651条)。ここが承継を難しくする出発点です。個人事務所の場合は契約名義が所長個人なので、事務所を譲渡しても当然には新事務所へ引き継がれません。税理士法人の場合は契約名義が法人ですが、解約権の構造は変わらず、譲渡(社員交代)後に顧問先が解約を申し出れば、契約上は引き留めようがありません。手続面でも、税理士法人の社員変更は税務署への届出が必要なだけで、顧問先側からは「担当者が変わる」程度にしか見えない——だからこそ、不満があれば離れやすいのです。
譲渡後の顧問先流出が起きる典型パターン
流出が起きる引き金は、現場ではだいたい決まっています。最も多いのが所長との人的関係依存で、所長個人を信頼していた顧問先が、その引退をきっかけに別事務所への切替を検討するパターンです。次に担当税理士・スタッフの離職——譲渡を機に主要職員が独立し、顧問先を引き連れて新事務所を立ち上げるケースもあります。料金面では、買い手側が顧問料を統一料金に揃える際に値上げを嫌った顧問先が離脱します。サービス水準の変化も無視できず、所長が直接対応していた相談が譲渡後は若手担当者対応になることで、顧問先の不満が顕在化します。
譲渡実行前のDDで確認すべきは、「顧問先継続率を保守的にいくらに置くべきか」「契約書に競業避止・引抜禁止条項が入っているか」「過去の顧問先離脱率と離脱理由」「所長・担当税理士の譲渡後の関与プラン」の4点です。これらを踏まえずにバリュエーションを組むと、譲渡後12〜24ヶ月で収益基盤が想定を大きく割り込む事態になります。
担当税理士の独立で顧問先の3割が流出した案件
都市部の税理士法人(年商約2.5億円、顧問先約180社)の譲渡で、譲渡実行から8ヶ月後、現場のチームリーダーだった社員税理士が独立しました。表向きは「キャリアアップ」と説明していましたが、実態は新事務所開業で、過去2年間担当していた顧問先の約3割(金額ベースで約4,500万円)が新事務所に切り替えていきました。
譲渡前の段階で、社員税理士に対する競業避止・引抜禁止の合意書は取得していませんでした。譲渡側所長との合意書はあったものの、社員税理士個人とは独立した契約関係だったため、法的な引抜阻止は困難でした。譲渡実行前のDDで、所長以外のキープレイヤー(社員税理士・チームリーダー・主要担当者)との個別合意取得を進めるかどうかは、譲渡後の流出リスクに直結します。「所長と握っていればOK」は、士業M&Aでは通用しません。
所長個人依存の収益分解——「人格売上」を可視化する
税理士法人M&AのDDで、最初に着手すべきは「所長個人がいなくなった場合に残る売上」の試算です。年商トップラインだけ見ると安定収益に見えても、内訳を分解すると所長依存比率が想像以上に高いケースが多いです。
所長依存売上の分解視点
分解の切り口はいくつかあります。まず窓口担当者別の売上集計です。各顧問先の窓口担当者を所長/社員税理士/その他に分け、所長が窓口の顧問先売上が全体の何割を占めるかを算出します。この所長窓口比率が、筆者の感覚では3割を超えると警戒、5割を超えると「所長が抜けると別の事務所になる」水準と見ています。後継候補の社員税理士がいる事務所でも、創業所長の場合は窓口比率が6〜7割に達していることが珍しくなく、ここが事務所の値付けを一番揺らします。次に紹介ルート別の売上集計で、新規顧問先の紹介ルート(所長個人ネットワーク/既存顧問先紹介/提携先紹介/Web集客)別に売上を分解し、所長個人ネットワーク経由の比率を確認します。さらに高単価サービスの担当者にも目を向けます。相続・事業承継・M&A・国際税務といった高単価サービスは所長が直接対応している比率が高く、これが消えるとEBITDAへの影響が大きいからです。最後に銀行・金融機関との関係——顧問先紹介を含む金融機関リレーションが所長個人ベースなのか法人ベースなのかは、譲渡後の新規獲得力を左右します。
譲渡後シナリオの3パターン試算
所長依存比率を踏まえて、譲渡後3年間の収益シナリオを少なくとも3パターン用意するのがDDの実務です。
| シナリオ | 顧問先継続率(3年累計) | 新規獲得 | EBITDA水準 |
|---|---|---|---|
| 楽観:所長が3年間関与し引継ぎ完了 | 85〜90% | 従来ペース維持 | 譲渡前比 95〜100% |
| 中位:所長が1年で関与終了、引継ぎ部分的 | 70〜80% | 所長ルートが消えて30%減 | 譲渡前比 70〜80% |
| 悲観:所長即引退、社員税理士の一部離脱 | 55〜65% | 主要紹介ルートが消失 | 譲渡前比 50〜60% |
この業界では悲観シナリオが例外ではなく一定確率で現実になるため、バリュエーションは中位シナリオを基準にし、楽観・悲観でレンジを示すのが妥当です。仲介の概要書がトップラインの単純倍率(年商0.7〜1.0倍など)で出してくる金額は、悲観シナリオでは過大評価になることが多いです。
銀行紹介の80%が所長個人ルートだった案件
地方の税理士法人(年商約1.5億円)のDDで、新規顧問先の紹介ルートを過去3年分集計しました。新規獲得の約65%が地元金融機関2行からの紹介でした。所長は両行と20年以上の付き合いで、支店長クラスとも個人的な関係がある状況。所長の引退後、買い手側のチームが両行と関係を再構築できるかは、紹介ルートの維持に直結します。
買い手側は「ロールアップで規模拡大すれば紹介が増える」と楽観的でしたが、地方銀行の紹介は支店長個人の判断に依存することが多く、規模だけでは決まりません。最終的に、譲渡実行後3年間は所長を非常勤顧問として残す契約を組み、両行との関係維持・引継ぎを所長の責務として明記する設計に変更しました。所長個人のネットワーク資産は、財務諸表に出てこない「無形資産」として、DD段階で必ず可視化すべきです。
税理士法上の論点——社員税理士の合意要件と業務承継
税理士法人の構造変更(社員交代・合併・解散)には、税理士法上の手続要件があります。一般会社の株式譲渡のような「議決権の過半数」だけでは話が進みません。社員税理士の同意・税理士会・税務署への届出など、複数の手続を順序立てて進める必要があります。
税理士法上の主な手続論点
手続の起点になるのが社員の加入・脱退です。税理士法人の社員は税理士資格保有者に限定されており(税理士法48条の4)、新社員の加入も既存社員の脱退も、定款の変更を伴います。税理士法人は持分会社に近い構造で、定款変更は総社員の同意が原則とされ、定款で別段の定めを置いている場合のみその要件に従う——ここは対象法人の定款を実際に確認しないと要件が確定しません。「過半数あれば進む」という株式会社の感覚で入ると、社員1名の反対で止まることがあるため、定款の定足要件を最初に押さえます。合併を選ぶ場合は、税理士法人同士であればそれぞれの社員の合意に加えて、日本税理士会連合会への合併認可申請が必要です。解散・清算の局面では、解散事由の発生から清算結了まで税理士会への届出を要します。これらの手続論点と並んで見落とせないのが、過去5年の懲戒処分・業務停止の有無です。これは譲渡後の事業継続に影響しうる重要論点として、必ず確認しておきます。
社員税理士全員の合意が必要な場面
譲渡スキームによっては、社員税理士全員の合意が事実上必要になる場面があります。代表的なのが社員交代型で、譲渡側の所長社員が脱退し、買い手側の社員税理士が加入する形を取るため、脱退・加入それぞれに定款変更が伴い、定款で別段の定めがなければ総社員の同意が必要になります。合併型は、譲渡側税理士法人が買い手側税理士法人に吸収合併される形で、両法人の社員の合意に加えて認可申請が必要です。事業譲渡型は、顧問契約・人員・備品などを個別に譲渡する形ですが、準委任契約の個別承継には顧問先の同意が必要になる場面が出てきます。
事業譲渡型は顧問先の同意取得が必須となるため、実務上は社員交代型・合併型が選ばれることが多いです。ただし、定款で別段の定めがなければ定款変更は総社員の同意が原則となるため、社員税理士のうち1名でも反対すれば手続が止まる構造になりがちです。譲渡実行前に、社員税理士全員と個別合意を取得するプロセス設計が必要です。
社員税理士1名の反対で半年間ディールが止まった案件
中堅税理士法人(社員税理士4名、職員約25名)の譲渡で、所長を含む社員3名は譲渡に賛成、残り1名(40代の若手社員税理士)が反対する状況でした。反対理由は、譲渡後の自分のキャリアパスが不明確、譲渡対価の配分に納得感がない、買い手の経営方針が見えない——という3点。
この法人の定款は定款変更に総社員の同意を求める原則どおりの定めで、4名中1名でも反対が残れば社員交代の前提が崩れる状況でした。買い手側・譲渡側で議論を重ね、最終的に反対していた社員税理士に対し、譲渡後3年間の役員ポジション保証+成果連動の追加報酬契約を提示することで、合意取得に進みました。半年間ディールが止まった結果、買い手側のM&A担当者の人事異動も挟まり、追加コストは無視できない規模になりました。社員税理士全員の事前合意取得は、税理士法人M&Aで最初に着手すべき作業です。
「無償サービス」の含み損——記帳代行・年末調整・相談対応の実態コスト
会計事務所のDDで見落とされやすいのが、「契約書には書かれていないが実際には提供している無償サービス」の実態コストです。長年の付き合いで惰性化したサービス提供が、譲渡後に大きな赤字要因として顕在化することがあります。
典型的な「無償化している作業」
無償化しやすい作業はだいたい決まっています。代表格が記帳代行で、顧問契約には記帳指導しか含まれていないのに、実態は事務所側が記帳代行している顧問先が一定数あります。年末調整・法定調書も本来は別料金ですが、長年の付き合いで請求していない顧問先が出てきます。給与計算は本来社労士業務であるにもかかわらず、所長の好意で対応しているケースが珍しくありません。税務調査立会・相談対応では、追加報酬の取り決めがないまま立会日数・相談時間が膨らんでいることが多い。さらに銀行融資の相談・資料作成も、顧問契約の枠外でありながら顧問先サービスの一部として対応していたり、本来は別案件で計上すべき事業承継・相続相談を顧問料の中で消化していたりします。
無償サービスのDDでの可視化方法
可視化はいくつかの作業を組み合わせて進めます。まず担当者ヒアリングで、主要担当者に「契約書に書かれていない作業を実際にやっている顧問先」をリスト化してもらいます。次に月次工数の実測——主要顧問先10〜20社について、過去3ヶ月の月次工数(時間ベース)を担当者の記憶ベースで聞き取ります。そのうえで記帳代行・年末調整・給与計算の市場価格を当てはめ、無償化している金額を試算します。最後に顧問料単価の妥当性チェックとして、顧問先別の月額顧問料と提供サービスの実態を突き合わせ、適正料金との差額を算出します。筆者の体感では、長く続いた地方の小規模事務所だと、この無償化分が積み上がって年商の5〜10%程度に達していることが多く、ここが厚い事務所ほど「実態の利益率は概要書より低い」と読み替える必要が出ます。逆に料金改定をこまめにやってきた事務所では数%にとどまり、ギャップが小さいほど買い手にとって譲渡後の値上げ離脱リスクも小さくなります。
無償サービスの実態コストが見えると、譲渡後の経営判断が変わります。買い手側で「契約通りのサービスに戻す」「追加サービスを別料金化する」「顧問料を見直す」のいずれを選ぶにせよ、顧問先側からは値上げに見えるため、離脱リスクが上がります。譲渡実行前に、無償化している作業を可視化し、譲渡後の料金見直しシナリオを織り込んだバリュエーションを組むのが妥当です。
無償化していた記帳代行の正規料金化で顧問先2割が離脱した案件
地方の会計事務所(年商約1.2億円、顧問先約140社)の譲渡後、買い手側は経営効率化の一環で「契約書に基づくサービス提供への正常化」を進めました。具体的には、顧問契約には含まれていない記帳代行・年末調整・給与計算を有償化する施策です。
顧問料月額3万円の顧問先で、記帳代行の正規料金(月額1.5万円)・年末調整(年額3万円)・給与計算(月額1万円)を加算すると、年間で約30万円(従来比83%増)の値上げになるケースが多発しました。顧問先側は「20年の付き合いだったのに、買収後にいきなり値上げ」と反発し、約2割の顧問先が他事務所への切替を進めました。譲渡実行前のDDで無償サービスの実態と、正規化に伴う離脱リスクを試算していれば、料金見直しの段階的設計や、顧問先別の優先順位付けで離脱を抑えられた可能性があります。この案件で痛かったのは、値上げ自体ではなく「一斉に・買収直後に」やったことで、半年ずらして高単価先から個別に話せば、同じ正常化でも離脱は半分以下に抑えられたはずでした。
バリュエーションとのれん償却——士業M&A固有の税務論点
税理士法人・会計事務所のバリュエーションは、業界慣行的に「年商0.7〜1.0倍」「EBITDAの3〜5倍」が示されることが多いです。ただし、これらの倍率はあくまで目安で、顧問先継続率・所長依存比率・無償サービスの実態を踏まえずに当てはめると、買い手側で大きな含み損を抱えることになります。
バリュエーションで織り込むべき調整項目
倍率の出発点から、いくつもの調整を重ねていきます。まず顧問先継続率を保守的に置き、中位シナリオ(70〜80%継続)でEBITDAを再計算します。そこから所長関与終了後に消える所長個人依存売上を控除し、無償サービスの正規化に伴う顧問先離脱・実質売上減も織り込みます。コスト面では、譲渡後3年間の引留報酬・インセンティブといった主要職員の引留コスト、会計ソフト・顧問管理システムの統合費用やデータ移行を含むシステム統合コスト、そして譲渡後の引継ぎ期間中に譲渡側所長へ支払う顧問契約料を、それぞれ織り込む必要があります。
のれん償却の税務論点
株式譲渡の場合、買い手側で計上されるのれんは原則として税務上償却できません(連結納税・グループ通算制度の特例除く)。一方、事業譲渡型の場合、買い手側で計上した資産調整勘定(税務上ののれん相当額)は5年間で均等償却が可能で、税務メリットがあります。
整理すると、株式譲渡(社員交代)型では、譲渡側は譲渡所得課税となり、買い手側はのれんを税務償却できません。合併型は適格合併か非適格合併かで税務処理が大きく変わるため、実務的には適格合併要件を満たさせる設計が多くなります。事業譲渡型は、譲渡側が譲渡益課税となる一方、買い手側は資産調整勘定を5年で税務償却できるのが利点ですが、顧問先の同意取得というハードルがついて回ります。
スキーム選択は、税務メリット・手続負荷・顧問先への影響の3つを比較して決める作業です。仲介から提案されるスキームをそのまま採用するのではなく、税理士・弁護士と並行協議でスキーム最適化を進めるのが、譲渡側・買い手側双方の手取り最大化に効きます。
事業譲渡型に切り替えてのれん償却で年間約1,800万円の税務メリットを引き出した案件
中堅税理士法人(年商約3億円)の譲渡で、当初は社員交代型(株式譲渡相当)のスキームが提案されていました。この事務所は相続・事業承継・国際税務といった高単価サービスの比率が高く、利益率が同規模の記帳中心事務所より厚かったため、対価は年商倍率ではなくEBITDA倍率で組まれ、結果として年商の2倍を超える約4.5億円の水準に着地しました。買い手側で税務面を試算したところ、対価のうち約3億円がのれん相当額で、株式譲渡型ではこののれんを税務償却できません。一方、事業譲渡型に切り替えると、資産調整勘定として約3億円を5年間で均等償却でき、年間約6,000万円の損金×実効税率30%=年間約1,800万円の税務メリットが見えました(5年累計で約9,000万円)。
ただし、事業譲渡型には顧問先全件の同意取得が必要というハードルがあります。顧問先約180社全件への通知・同意取得を、譲渡実行前の3ヶ月間で進める計画を組み、最終的に約95%の顧問先から同意を取得しました。残り5%は顧問契約の継続を断られましたが、税務メリットの規模が大きく、トータルでは事業譲渡型の方が買い手側のNPVが高い結果となりました。スキーム選択は税務メリットだけでなく、手続負荷・顧問先離脱リスクとのトレードオフで決める作業です。
業界専門家・M&A専門家の補足論点——保険・情報管理・内部統制
顧問先継続率や所長依存売上のような事業価値中核の論点に加え、譲渡実行後の「事故が起きた場合のリスク」を織り込むのが、士業M&Aの現実的なDDです。具体的には、税理士損害賠償責任保険のテール期間設計、マイナンバーを含む個人情報管理体制、内部統制の整備状況——この3点は、譲渡後に問題が顕在化すると、買い手側の信用毀損につながる重い論点です。
税理士損害賠償責任保険のテール期間継承
保険まわりで最初に押さえたいのは、過去業務に関する賠償請求のリスクです。譲渡実行後でも、過去の税務申告ミスや税務調査対応漏れに関する賠償請求が、過去の事務所に向けて行われる可能性があります。そこで論点になるのがテール期間、つまり既往事業に対する賠償保険の継続です。譲渡側で旧名義の保険を一定期間維持するのか、買い手側で継承するのかを選択しなければなりません。テール期間の年数は、税賠請求が表面化するまでのラグから逆算します。筆者の体感では、相続税・法人税の申告ミスは税務調査が入る3〜5年後に問題が顕在化することが多く、テールは最低でも5年、相続案件の比率が高い事務所なら7年を目安に置くのが安全です。判断材料として、過去5年の保険事故・支払履歴、事故率、業務改善状況といった賠償事故履歴を確認します。そのうえで、テール期間中の保険料を誰が負担し、譲渡対価にどう反映するかという保険料の負担分担を詰めていきます。実務では、この負担を譲渡対価から控除する形で精算するケースが多く、相続・組織再編といった高リスク業務の比率が高い事務所ほど、この控除額が交渉の焦点になります。
個人情報・マイナンバー管理体制
まず確認するのがマイナンバー法上の安全管理措置です。マイナンバーを取扱う事務所として、基本方針・取扱規程・組織的安全管理・物理的安全管理・技術的安全管理がどこまで整備されているかを見ます。次に過去の漏えい事故——個人情報・マイナンバーの漏えい事故履歴や、個人情報保護委員会への報告履歴を洗います。クラウド会計サービスとの連携も重要で、freee・マネーフォワード・弥生等のクラウドサービス利用におけるアクセス権限管理、退職者の権限抹消フローがきちんと回っているかが論点です。最後に、事業譲渡型では顧問先個人情報の取得元・利用目的を譲渡前後で整合させる手続が必要になるため、譲渡時の利用目的整合性も忘れずに詰めます。
内部統制と業務品質管理
業務品質の土台になるのが業務マニュアルの整備で、申告書作成・税務調査対応・相続税申告等のマニュアルがどこまで揃っているかを確認します。あわせてレビュー体制——担当者作成→管理者レビュー→所長承認という三段階チェックが機能しているかも見ます。ここで買い手評価が実際に動く分岐は、所長レビューが「全件」なのか「抜き取り」なのかです。筆者が見てきた範囲では、年商2億円を超え担当者が10名を超えたあたりから所長の全件レビューが物理的に回らなくなり、ここで二段階目のレビュー体制が文書として存在するかどうかで、買い手の品質リスク評価が一段変わります。逆に所長1人が全件最終チェックしている小規模事務所は、品質は高くても所長引退でそのまま品質が落ちるリスクとして織り込まれます。業務記録の保管も論点で、業務メモや打ち合わせ記録が体系的に残され、過去の業務を復元できる状態かどうかが品質の証跡になります。
税賠保険のテール未設計で過去業務の賠償請求が買い手側に降りかかった案件
譲渡実行から1年半後、譲渡対象だった税理士法人の旧顧問先から「3年前の相続税申告に関する税務調査で重加算税の対象となり、当該損害分を賠償してほしい」との請求が、譲渡後の法人(買い手側支配下)宛に届きました。譲渡前の税賠保険は譲渡実行とともに解約されており、テール期間(既往事業継続補償)の設計がなされていませんでした。
過去業務に対する責任は譲渡側に残るのが原則ですが、現実には旧法人格の継続体である新法人に請求が来る形で、対応コストと顧客対応の負荷は買い手側に降りかかりました。譲渡実行前の表明保証・特別補償条項は組まれていましたが、保険によるリスクヘッジが設計されていなかったため、譲渡側の自己負担で対応する必要があり、最終的に和解金約800万円の負担が発生しました。税理士法人M&Aで税賠保険のテール設計は、譲渡実行前に必ず詰めておくべき項目です。
まとめ
税理士法人・会計事務所のM&Aは、業界外で「ロールアップしやすい領域」と思われがちですが、ここまで見てきた論点はどれも一点に行き着きます——売上の数字は財務諸表に載っていても、それを生んでいる所長個人の関係資産は載っていない、という非対称です。顧問契約の解約自由も、所長窓口比率も、無償サービスの含み損も、突き詰めればこの「載らない部分」をどう数値化して値付けに反映するかという同じ問いの別の顔で、概要書のトップライン倍率を額面どおり受け取るほど、この問いが買い手側に後ろ倒しの請求書として回ってきます。
同じ非対称が、売り手と買い手では逆向きに効きます。譲渡側にとっては、所長個人ネットワークや無償サービスの実態まで先回りして開示するほど「見えない価値」が対価に乗りやすく、買い手側にとっては、その同じ部分を譲渡前に保守的に見積もれるかどうかが、後で抱える含み損の大きさを決めます。結局、ディールの成否は譲渡実行前にこの「載らない部分」をどちらが先に正確に掴むかで分かれます。
DD-AXでは、税理士法人・会計事務所のビジネスDDを中小M&Aの規模感で実施しています。税理士法に詳しい行政書士・弁護士、士業M&Aの実務経験豊富な税理士、PMI支援に通じたコンサルタントのネットワークと連携し、顧問契約承継リスク・所長依存売上の可視化・スキーム選択の最適化を初期段階から潰し込む設計です。仲介の標準スキームでは判断材料が足りない、買収後の収益見通しを保守的に組み直したいという案件で、声をかけていただくケースが増えています。
税理士法人のDDでも、顧問契約一覧や売上データの集計・名寄せはAIで定型処理でき、顧問先の承継率や所長個人依存、社員税理士の離脱リスクの見極めは専門家が握る。この分担なら、ロールアップで何件も重ねる業種特化DDを、品質を落とさず大手より速く・安く回せます(業種特化DDをAIで安く・速く回す方法)。